しかくい山 

人と極力繋がらない暮らしは不幸なのか?をテーマに生きる。

8・6見過ごされてきた人々

久しぶりのまとまった雨、そのおかげで家が冷やされ、久しぶりに涼しさを感じながら目が覚めた。今週は雨が多いのでありがたい。昨日、いつもの道を通りながら帰宅していると、大きな栗の木に栗がたくさん実っていた、秋の気配だ。栗大好き。何をしてもこやつは美味い。私は1つの食べ物にハマると、拒絶反応が出るほどにその食べ物ばかりを食べてしまう。まるで焦点があってなくどこを見てるかわからないけど、虚無になりながら食べることだけに全集中している違う世界に行っちゃってるハムスターのように。それは子供の頃からで、小学生の時、少し離れた魚市というスーパにチャリンコで行っては(甘栗むいちゃいました)ばかり買っていた記憶をいつも思い出す。(だいぶ前に魚市は店をたたんだ)そして、いつもの不良が店前に置いてあるゲーム機のストリートファイターに夢中になっているのも魚市の風物詩。その不良というのは、私とその後腐れ縁になる元彼なんだが。

 

昨日は古本で安く買えたはいいけれど、凄まじい柔軟剤の匂いが移香してしまっていて、体調が悪くなるので読めずに縁側で長いこと天日干ししていた

 

 

山内マリコさんの一心同体だったをやっと読み出せ、その著書の中に昭和の、私も夢中になったけろけろけろっぴ、仲良し、ポチたまやFELIXの裁縫道具箱などが詳細に書き出されていて、マリコさんの文章力すげぇな…と昔のことを懐かしく思い出させてもらっていた。たくさん思い出した中で鮮明に思い出した記憶が、小学校内にあった文房具店の(文房具のおばさん)だった。ふくよかな体型で、チリチリ頭で、目が見えないほどの厚いメガネと、感情を出さないいつもの決まった顔。そんな文房具店は、学校が1度も楽しいと思えなかった私にとっての唯一の娯楽の場所だった。まだあるのに、買うって行為だけがしたいがために、教室内の独特な空気から逃げ出すために、少ない休み時間に走ってネームカードとか鉛筆を買いに行ったりして。あの文房具のおばさんは今も元気に生活されているんだろうか…きっともう90歳は超えていることだろう。会話なんてろくすっぽしたことなんてないけど、なんか元気でいてほしい人だ。

 

昨日はしばらく分の食材を買い溜めしておこうと、少し離れた場所にあるすスーパーに息子と行った。店前では品がよいマダム軍団が紙を持って立っていて、通り過ぎる時にボードに書いてある文字を見たら【核廃絶】という文字が書いてあったので、「んんん…」と声に出しながらマダムの元へ行き署名をした。あぁ、そうか…今日は8月6日か…「この活動の母体はなんですか?」と聞いたら「日本婦人の会です」と聞いて、なるほどなるほどと思いながら横を見たら、私に吊られてではなく、自分の意思で息子も署名していた。むむむ。そして私が署名を終え「お疲れ様です」と声をかけると、息子は力がこもった明るい声でマダムに「頑張ってください」と言うもんだから、マダムが嬉しそうにしていて、コミュ力が高い息子にグググ…となった。我が息子ながら、かっこよかった…毎年、その場所で署名活動をしていると言っていた。

三重県安濃町のzeniya

www.zeniya-foods.com

というスーパーだ。

www.shinfujin.gr.jp

日本婦人の会のHPを見に行ったら、様々な反対運動をしていて、署名紙も個人がダウンロードできるようになってる、女のエネルギーってすげぇな。と改めて思った。ある映画で「力を持った女が権力者になるほど厄介なものはない」というのも確信めいていて忘れられないけど。(力の使い方を間違えば男より悲惨な事態になるということ)どれも署名したい、考え出すとはらわたが煮え繰り返る思いの大事なトピック、ぐぐぐ。

あ、そうだ、と思い出して検索してみた。

inochinokoshin.wixsite.com

この時期になるといつも思い出す人たちがいる。命の行進の僧侶さんたちだ。特にルンビニにいる佐藤住職とは、愛媛県に私たち親子が招待された時に、とある会で知り合い、その後何度か連絡を交わし、貴重なトゥルーシー茶を送っていただいたりもした。

今年は活動どうなんだろう…とFBを見たけど、4月で更新が止まっていてちょっと状況がよくわからなかった、台湾でも行進をしたみたいだ。日本での行進の最終目標地点が広島なんだけれど、趣旨が変わったんだろうか…何かしらアクションを起こしている方々なので、気になる方は随時情報を追ってみてください。私はこの会に参加した時、歩き続けてボロボロになりながらも、人の悩みや苦心に耳を傾け、穏やかな口調でその人たちを包み込む僧侶たちの姿に泣いたことも思い出した。これを書いていて、また無性に穏やかな佐藤住職に会いたくなった。お元気でいてください。

 

知らなかった,戦争PTSD

昨日は8.6と忘れてはいけない日なので、読まずにとっておいた、8.6にふさわしい、この本を夜中に読んでいた。PTSDという診断名はアメリカ1980年、ベトナム帰還兵の、自殺やアルコール依存症が調べ始める発端となったらしい、が日本は阪神淡路大震災がきっかけでPTSDという言葉が広く知られるようになった、1995年のことだ。

日本兵として戦った兵士たちも戦争が終わり、帰還し、自宅に戻り、深刻なPTSDを抱えていたにも関わらず、その精神障害は

 

日本人としての恥

非国民

 

として見過ごされてきたという。

でましたでました根性論、なんともなんとも日本らしい。

最前線で人を殺したり、錯乱した頭で強姦してしまったりしてるんだから、まともな精神でいれる方が病的だ。

 

 

 

沖縄でのガマ(自然洞窟)の記事で、米兵に見つかることを避けるために、母親が乳児(我が子)を殺すという記事も、あぁ…となる、あぁ…となるけど、実際に起きた事実であって、自分がもし乳児を抱えて、この人間たちと同じ穴の中で身を潜める事態になったら…と思うと、集団心理と人間の怖さをひしひしと想像することができて、他人事とは決して思えない。集団怖い。心はゾミアのように生きていたい。ここでも書いてある通り、世界中の戦争で1番最初に、ゴミのようにない者として扱われたりしてきたのは、病気持ちだったり、障がいがあったり、社会的弱者の人たちだ。あぁ、うちもしっかり該当する、あぁ。今、元気に金を稼げていて、貧乏なのはお前たちの力の結果だ!と言い尽くす暴君には

 

ばーかばーかばーか

 

とだけ延々とそいつの気が狂うまで耳元で囁き続けていたい。君の想像力の欠落に乾杯乾杯かんぱーい!だ。

いつだって人の生活なんてどうなるかなんて分からないんだから。それに今、日本人たちの多くが貧乏になってしまっているのは、個人の力のせいではなくて、政治の無能さが引き起こした責任なんだから。

クソッタレ、自民党、公明党、その他諸々クソッタレじゃ、お前らがうちらの豊かさと健康を搾取し尽くしとるんじゃ、ざけんな、搾取大好き悪魔ども!とサンドバックをまたボコスカ殴って蹴って暴れてこようとしたら、ビッグイシューさんから電話がかかってきた。ご丁寧に問い合わせの返答でだ、あぁ、なんて丁寧で親切。

 

にーんげんっていーいーな

こうやってクリティカルシンキングを与え続けてくれる人たちの存在や、婦人の会のマダムたちのように自分たちができることを淡々と行動で示している人たち、そして祈りの行進を続け人々の心に突き刺さる問いを与え続けている僧侶たち、名もなき戦う人たちの存在があって、見過ごされてきた人々が可視化できるようになって社会を変えている。かっこいい、かっこいい。私も正義の暴走に留意しながら、声を上げることが、声をあげれない誰かの力になるような生き方をしていきたい。

 

そうだ、昨日はコンビニに行き、車から降りたら気温差でメガネがホワイトアウトになった。前方がぼやけたままコンビニに入ろうとしたら、何百枚にも重なった枯葉を踏んだような音がした。すぐさま自分に暗示をかけ冷静さを装った。

 

私は心を持たない石である。

私は心を持たない石である。

 

あれは、確かにあれだった。でも私は心を持たない石なのである。

会計を済まし、視界良好になった眼鏡でその現場を確認したら、やっぱりそうだった。あぁ…ごめんなさい…でも崩れもしないでそっくりそのままの形を保っていた、あぁぁ。

車に戻り、それを踏んだと息子に伝えたら綺麗にシカトされた。

 

昨日は考えすぎた日だったので、今日は穏やかに物凄く適当に過ごそうと思う。

値上がりし続ける二重課税のガソリンの値段を見るたびに、働くのがバカらしくなってくる。

 




OFUSEで応援を送る

ランキング参加中 。どれか気になるトピックをクリックしてもらえたら嬉しいです。
ブログランキング・にほんブログ村へ