しかくい山 

人と極力繋がらない暮らしは不幸なのか?をテーマに生きる。

変な先入観を壊してもらえた話

暑い…暑い…暑かった…エアコンをつけっぱなしにして寝たのに、部屋が全然冷えないので(おかしいな)と思っていたら、やっぱりおかしかった。車に乗り外気温を見たら35度となっていた。定期通院の病院に行き、息子に奪われて、なくなりかけていた湿布を大量にお願いし会計を済ませ、調剤薬局に行ったら、いつも流れているテレビではキャスターが嬉嬉しそうに

 

新潟では38度です

 

と笑顔で言っていた。なぜに笑顔、きっと暑さで頭がおかしくなってしまってるんだろうと思いながら、湿布を受け取り、いつものお店に注文して作ってもらったキンパを受け取りに行った。世の中で何が1番好きですか?と聞かれたら、今私の中で数年間ナンバーワンの座に輝いているのはキンパである。美味い、めちゃくちゃ美味い。噛むと口の中に広がる絶妙なバランスがもうパーフェクト。実は、私も息子も長いこと愛してやまなかった、とあるお店のキンパが急にキンパ製造を辞めてしまって(正確には惣菜とお弁当製造をやめてしまったらしい)私たちは数ヶ月キンパロスの悲しみの中生きていた。コロナ禍の鬱々とした気持ちを幾度となく救い上げて幸せな気持ちにしてくれたキンパ…が今月頭、ふと気になっていたお店にフラッと行ってみたら、メニュー表にキンパがあった!!しかも予約しないとない裏メニュー的なキンパが。これは期待大だ…期待大ですよ…

と数日後、電話でキンパの注文はできますか?と聞いたら

 

2時間後ならできます

 

と返事がきた。

2時間もかかるキンパ…2時間…ゴクリ。絶対に美味いに決まってる、私の胸はキンパロスから起死回生で胸高鳴り弾むばかり。捨てる神あれば拾う神あり、普段神様のことなんて(けっ)と思ってる人間なのに、都合のいい時だけ(神様仏様宇宙人様)なんてよくもまぁ思うもんだ。

韓国人のみなさん감사드립니다 / カムサトゥリムニダ。幸せホルモンが出まくる食べ物を作ってくれてありがとうございます。

2時間待って食べたキンパは頭の中が真っ白になるぐらい美味しかった。それから、ちょくちょくキンパを電話で注文するようになって、最近では常連認定してくださって(早)美味い棒をキンパと共に数本くださる。いつも美味しいキンパをありがとうございます、買いに行けるウマウマキンパがこの街にはある、その存在があればなんとかこの暑さでも頑張れちゃうのだ。

 

愛するキンパキンパ

 

ここ数ヶ月、久しぶりの活字中毒再発で仕事そっちのけで読まずにしまってあったり、途中で読むことをやめてしまったりしていた本を手当たり次第に夢中になって読み漁り、とうとう全て昨日に読んでしまった。今日はピルをもらいに産婦人科に行くのに、さてどうやって時間を潰そうかな…と考えている。と言うのも、この産婦人科、全て女医さんという事もあって物凄く人気があり、予約をしても最低1時間は待たなければいけない。産婦人科は絶対に女医じゃないと嫌なので1時間の待ち時間は読書もできるし、許容範囲なんだけれど、今日はその本がない。産婦人科に行く前に、たまに潰れて欲しくないな…の想いで立ち寄る小さな個人経営の本屋に寄ることとしよう。起きれれば…

寝ていたい、何もしたくない、ぼーっとしていたい、自分の人生の肥やしになることじゃなく、全く生産性がないようなことでも、その時の自分には必要な最善な回復方法なんだと思う。共同体で暮らし、生きていると、どうしてもお金の問題にぶつかり、生産性がないことで衝突したりするけれど、人間ほんま頑張りすぎだよな…と思う。

若い時はお金が稼げる人を凄くて偉い人だと思い込んでいた。41年生きてきて、それがどれほど馬鹿馬鹿しく、間違っていた価値観かということは、金に支配され腐った大人を嫌というほど見てきたからだろう。

 

 

昨日読んだ本は

 

塩狩峠

 

サンパウロに住むブラジル人の仲良しが、私の誕生日プレゼントに送ってくれた本だった。本だったという言い方をするのは、数年前に送ってくれた本だからだ。友達はクリスチャンで、とても勤勉で優しく面白く尊敬できる友達なんだけれど、この本、ネタバレしてしまうのでザックリ言うと、キリスト信者の本だった。私は昔からどうしても、聖書とかキリスト系の書物は読む気にはなれなかったし避けて生きてきた。それでも、サンパウロの友達のようにクリスチャンの友達は海外にはちらほらいて(文化が違うから)という理由で、すんなり受け入れられた。それでも、リアリストな私は、心のどこかで、神に祈って解決できるなら私もとっくに毎日そうしてる祈ってるわ…と腹正しささえ覚えることも度々あった。

でもね、この本を全て読みおえて最後は涙なんか出ちゃったりして、私が41年間、勝手に決めつけていたクリスチャンへの偏見みたいなものが、少しだけ余白ができて柔軟になったような気がした。こんな人もいるなら、このような事が起こったら、私助かる確率あがっちゃうじゃん、ラッキー、なんて思いも湧いてきて、自分の腹ぐろさにドン引きしたりしながら読んでいた。とにかく、自分や誰しも持っている腹黒さを表面化して、深く考えさせてくれる本だな…と思った。気になった方は読んでみてください。

 

このようにクリスチャンの友達がこの本を私に送ってくれなかったら、私はキリストの事を考えたり、迫害されてきたヤソの人々の事や、聖書なんて、これほど読む機会も考える事もなかっただろうと思う。(この本には聖書の抜粋がたくさん出てくる)

それは私の友達が本当に信用に値する素晴らしい人間だから読む気持ちになっただけで、初対面のキリスト信者の人にこの本を渡されたら、正直(気持ち悪いな…)などと心の中で悪態をつきまくって読むことはなかったと思う。

人対人の確かたる誠実さの大切さも友達に改めて教わった気持ちだ。

今日は落ち着いたら、ゆっくり友達にお礼のメッセージを送ろうと思う。

 

老夫婦が営む文房具屋にも行った

空色のこの綺麗な便箋に目が止まって買った、そして接触過敏が酷すぎて袋さえ開けるのに激痛が走る、どうしようもない自分に外出先でも困らないように小さな携帯はさみも買った。

 

ここの所、たくさんの人の中に混じる時間が増えているので疲れている、今日もだ。

明日は余白の1日にしよう。

 

おやすみなさい。




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