曇り。湿度エアコンフル稼働で63%
クレカ払いで自宅に請求書は届かないはずなのに、スマホの請求書が届いて、封を開け請求額を見たら58万円だった。何回見ても58万だった。その真ん前ではテイラースイフトがリハーサル中に声が出なくなってしまって、胸に手をあて、泣きそうになっていた。今月終わった…と最悪な気分で目が覚めた。夢の中では、無料通話オプションが適応できていなくて、58万円という金額に跳ね上がった設定だったっぽいけど、昔で言うパケ死ってやつを思い出した。私の息子世代の子達はパケ死と言っても死語の部類だろうな。とにかく、めちゃくちゃ怖い夢だった。逆に、58万拾う夢だったら、起きて夢だと知って絶望するより、58万円の請求がきた夢の方が起きた時に(夢でよかった…)となって、幸せだったんじゃ?と朝から生産性の全くないことを考えたりしていた。
朝起きて、必ず実行するルーティンが
・ピル飲む
・深煎りのエスプレッソぐらいの真っ黒な珈琲を淹れる
・ブログを書く(New)
ブログを毎日更新するぞ、と決心し、プロ契約し、そして今は壊れたパソコンを買う時が来たか…と思っている。パソコンが壊れて数ヶ月。iPad proを持っているので、パソコンがなくても不便さは感じたことがあまりなかったんだけど、自分のお店のHPの編集などがパソコンでの編集がメインになっているので、iPad proでは編集できない箇所がいくつかある。はてなブログの編集もHTML編集までする時間の余裕はないので、見たまま編集で書くと、見出ししかいじれなくてしょぼさに笑う。
物書きの仕事もこれから増えそうなので、パソコン購入も前向きに検討しようと思う。
働けど働けど、物欲は止まらぬ私、あぁ、この世は苦行多し。
人間が持つ活動エネルギー量は1人1人が違う…という話。心に余裕がある人でも、心に余裕がない人の方が活動エネルギー量が多かったりする。そして、動き続け、生産性を重視されるこの世の中で動き続け、生産力が強い人間の評価の方が高くなる傾向があるけれど、私はそれが今は苦手だ。
私はもともと、どちらかと言うと、エネルギー量がとても大きな人間だと自覚している。
やりたい、知りたい、行ってみたい
この3つの欲求が人よりとても強くて、必ずと言っていいほどそれを実行に移す。実行に移さないと気が済まない性分だ。物心ついた頃からそうだった。
そんな私でも、母子家庭と自主避難で、まだ【組織の中で働かなくちゃ】と固定概念に囚われ、無理をしていた結果、仕事を掛け持ちし、対人関係で疲弊し、鬱が悪化し、お風呂に入る気力もなくなり、無理くり風呂場に行ったり、料理する気力もなく惣菜を買う回数が増え、ゴミを捨てる気力も湧かずゴミを放置したり、部屋の中は徐々に汚部屋へと変貌する、そんな生活が、自分が発達障がいだと知らずに生きてきた6年前までは、何回も何回もその負のループを繰り返し続け、なんとかかんとか生きてきた。
そんな経験をたくさんしてきたから、人と接するときには注意していることがある。
どうしてそんな簡単なことができないの??
と絶対に絶対に言わないこと。
そこで、その人が(本当はやりたいんだけどね)と言ったときは尚更だ。その人のエネルギー量は今、それができないほどに少なくなってしまっているんだ。と認識して、当たり障りなく会話する。自分に活動エネルギー量が全くなかった時に
やればいいじゃん
できるでしょ?笑
そんな簡単なことが?
と言われた日には、
お前、燃えちゃえよ…ねぇ燃えちまえよ…
と心の中でどれだけ思ったことか。
自分のエネルギー量と、他人のエネルギー量は全く違う量。それを意識して、生活しているだけで、他者に期待し、それが自分の思った通りの結果にならなくても、一方的な期待が失望に変わったり、怒りのような感情になることも減る。自分ができるから、他人もできる、そうじゃない。
今では、生活のためだけに、好きなことだけして稼いで生きてる私だけれど、生産性がない自分も好きで、極力そんな時間をあえて作ることにしている。
疲れ果ててしまっている時って、活動エネルギー量が強い人が身近にいると、できない・できてない自分を重ねて、ヤキモキしてしまったり、感情の波をそのエネルギーに揺さぶり続けられたりする。その相手が決して悪いわけじゃなく(なんで、そんなこともできないの?とマウント取ってくる人間は心の中で迷わず燃やしちまえ。)自分のエネルギー量が足りてない、回復期間を設けないと…と意識できるきっかけを作ってもらってると思えばいい。エネルギー量の差異は人間関係のバランスを決めると言ってもいい。
この活動エネルギー量は1人1人が違っていて、それを相手に求めても、自分の思い通りにはいかない。
そんな事を想像できない人間は、人の心を窮屈にして、エネルギーを吸い取り続ける、モラ人間という生き物になってしまうんだとも思う。
考え、意識して生きる。それができる人間にせっかく生まれてきたんだから、できるだけ考えて人を無意味に傷つけないように生きていきたい。
私の場合は、思ったことを口に出してしまいやすいので、人とできるだけ関わらない今の生活を選んでいる。自分も相手も不用意に不快にならない距離感。
話は変わるけれど
パラパラチャーハン
って言葉のリズムが好きだ、心もパラパラしてくる。(自分でも何言ってんだろ、と思うわ。でもパラパラチャーハンと声に出すと、気分が良くなる。)
前記事で書いた、過去10年ほど動かなかった、手を出せなかった紙類を大量に手動シュレッダーでくるくる粉々にする作業をしていたら、私が最初に発達障がいだと診断された、病院からの心理検査所見紙が出てきて、それを6年ぶりに読んで笑った。
対人的に過敏で、現実の人とのやり取りを避ける傾向がある。
現実の人とのやり取りを避ける傾向。すごいパワーワードである。確かに、今現在、人をできるだけ避け、庭にいる虫や爬虫類に話しかけているけれど。
この心理所見紙を読んだ息子は、ご近所に響き渡るほどの声で、泣きそうになりながら大爆笑し読んでいた。