しかくい山 

人と極力繋がらない暮らしは不幸なのか?をテーマに生きる。

耳が聞こえない人々と(見えないよ)の話

晴天。しばらく危険な暑さが続きそうなのと、暑さでイライラしている人が増えるので、不要なストレスを増やさないように、日中は出かけることをやめて夜に発送などをしようと思うと(あれ…去年もだったな)と気づく。夏は光や音、人間のエネルギー量が強すぎて、感覚過敏の私は音や光、人に影響されやすい特性でミラーリングが増え、エネルギーを消耗しやすく、体調を崩しやすいので、体調を死守することだけを考えて生活している。疲れが溜まると、聴覚過敏も酷くなるので、室外機や扇風機の音がうるさすぎてMOLDEXの耳栓をしていても家の中なのにきつい。宇宙に行くんだろ私、今年の夏も乗り切るんだ私。

 

昨日はアマプラで

 

ケイコ目を澄ませて

 

を見た。ずっと気になっていた映画だった。本も映画も気になって手元に置いておいても(今じゃない)って時と(今だ)って時が交互に行ったり来たりする。その(今だ)が昨日だった。人とのコミニケーションが苦手で、耳が聞こえないボクシングのプロライセンスを持つ女性の話だ。

 

数年前こちらで、耳の聞こえないご夫婦と知り合った。ちょうど、コロナ真っ只中の最中のことだった。手話で会話するという経験が初めてだったし、手話教室で手話の歴史や、手話の暗黙のルールみたいなものを詳しく教えてもらって、手話を覚えようと、先生に(これがいいよ)と教えてもらった本

 

 

 

も購入した。

 

今年は手話検定に挑戦するぞっ!!

 

と検定日に向け、本腰入れて頭の中に手話を叩き込んで、体で覚えよう、と思っていた矢先に、我が家の盲愛するワンコのKentが失明で介護が必要になり、手話をやる余力が私の中から完全に消え去ってしまった。仕事での多少の無理はしょうがないけれど、それ以外での

 

無理はしない

 

は私にとって物凄く大切なことだ。

 

…が諦めてはいない。

これも(今ではない)になっただけで(今だ)と言う時が、生きていれば必ずくるはずだから。私が持ってる資格は、ホームヘルパー、アロマテラピー2級、メンタル心理カウンセラー。どれも、まぁまぁ生きてく上で役にはたってきた資格だし、10代最後と20代前半は、小さな息子を抱えながら、資格を取ることに夢中になっていた時期があった。それ以来、資格を取ることに挑戦していないんだけれど、あの試験会場の独特な雰囲気は気が引き締まるので嫌いじゃない、寿命が縮まってる感じは否めないけど。

色々なことが落ち着いてきたら、また資格取得にも挑戦したいなと思ってる。何歳になっても挑戦はするし、年齢を言い訳にしたら、挑戦もしていないのに自分に完敗していることを自分で認めてしまっているということなので、そんなダサいことは自分の中では許せない。

 

昨晩は熱帯夜で寝付けなかったので、寝ることを諦めて、過去との決別会をまたすることにした。ありとあらゆる物を投げ込んでいたブラックホールのような押し入れは、今ではADHDの脳の特性からくる空間認知能力の低さと弱さを理解し、片付けの仕方を数年間自分なりに学んできた甲斐もあって(これは自分が片付けたのか…)と信じられないぐらいに、綺麗に整理整頓されている。部屋を綺麗に保つには

 

思い切って捨てる

 

が1番だ。手にとって眺めていると、思考がまた枝分かれして延々と物語が続き、違うことに手を出してしまったり、手に取ったものが(いつか使える日が来るのでは…)と思考がどんどん重くなっていくので、思考が重くなる前に思い切って捨ててしまう。その癖をつけてしまえば、部屋は劇的に綺麗になっていく。部屋を片付けていたら、LCDタブレットが出てきた。数年前に知り合った、耳が聞こえないご夫婦との会話はこのLCDタブレットでだった。

 

LCDタブレット

今は犬の介護があって年内、当面、マルシェや外での仕事はお休みせざるおえない状況なんだけれど、犬の介護が必要じゃなかった時に

 

マルシェに出店したら耳が聞こえない人たちも来てる可能性大だよな

 

と、今まで考えてもみなかった視点が私の中で生まれ、これを購入した。人との出会いは多くの気づきを生まれさせてもらえる。それが、透明人間のように扱われているマイノリティの人たちだったら尚更だ。私のようにADHD/ASDという障がいを持っている人間も含めて。

発達障がいも

 

見た目は普通なので障がい者だと思われずらい・気づかれない

 

という、パワーワードが横行している。いつも言うけど、障がい者らしい人ってどんなよ?

実際に私は何回か

 

障がい者に見えないよ

 

と、とんでもない悪意ない差別言葉を投げつけられたこともある。相手は励ましてるつもりなんだから言葉に凄く詰まる。障がい者に見えるというのは、足や手がなかったり、顔がぐちゃぐちゃだったりする人という事?多分、

 

障がい者に見えないよ

 

と言う人のほとんどが、そこまで言葉の意味を考えずに言っているんだと思う。怖い。

発達障がいとカミングアウトしたときは、

 

それを理由に逃げてる

 

と言われた事もあって本当にびっくりした。発達障がいというのは脳の障がいなんだから、見えるわけがなかろうが…マーズアタックのように脳みそが出てれば、それを言わぬか??

 

発達障がいは見た目の障がいではない、内面の障がい


本当に窮屈な世の中だ、発達障がいを免罪符にするつもりなんてないし、それ以外で苦しいことから逃げることが、どうしていけないんだろう。根性論が嫌いだ。発達障がいだと6年前に気づいて、人と極力繋がらない暮らしを選択したのは、この不要な悪意ない差別を受け取りたくないからって理由もある。自分のことをよく知りもしない人間に、勝手にジャッジされたくないし、サンドバッグになるつもりもない。自分の特性や性格を知った上で、損得勘定抜きに私と付き合ってくれている少数の優しい人たちがいてくれれば私はとても幸せだ。

 

プロボクサー女性の映画の話でもあったけれど、コロナ禍でのマスク生活は、口の動きから話を読み取る聴覚障がい者にとって、物凄く大変だったと、知り合い夫婦も言っていた。そんな大変な思いをしている人がいるだなんて、関わりがなかったら想像することもできなかったことだ。聴覚障がい者だけではなくて、知的障がいや、感覚過敏が強い発達障がい者でもマスクがつけれない人はコロナ禍でたくさんいた。その理由もわからずに、マスクをつけろと怒鳴られたという話は何度かツイッターで見たことがあってドン引きし、人間てほんと怖いなと思った。

 

来年は手話ができる余力が生まれたらいいなぁ…と緩く思っている。

 

昨日はまたハグロトンボ、別名神様トンボをたくさん見れた。どうやら、我が家に住み着いてくれてるみたいだ。

 

ハグロトンボ

ハグロトンボを調べたら、暗黒落ちスピ系の人が

 

黒いトンボを見ると不吉

 

という記事をわざわざ書いていて、感心した。

占いでも、おみくじでも、なんでもそうだけど、悪い助言は信用しないし信じない。それを、わざわざ言う人も信用しない。こんな大変な世の中で、更に人の心を窮屈にするのか貴様!と魔法が使えるならポイズガを放ちたい気分になる。

 

良い事しか信じない、良いと思う方向にしか進まない、良くなる良くなる、そう思いながら行動してると大概本当に良くなるから。自分の思考は具現化するのだ。

自分の生活と直結している政治や行政ごととなると話は別だ。ちゃんと(あんたらおかしいだろ…)と言い続ける自分でいたい。

 

さぁ、お仕事今日も頑張ろう。

 

 



OFUSEで応援を送る

ブログランキング・にほんブログ村へ