しかくい山 

人と極力繋がらない暮らしは不幸なのか?をテーマに生きる。

人に極力会わない仕事を増やす

私の人生のテーマ

 

人に極力会わない暮らしは不幸なのか?

 

を実践して数ヶ月。人に極力会わない暮らしというのは、ほぼ不可能だということが分かってきた。発送先、資材購入、知人のお店、行きたかった場所、生きていれば、誰かのお世話になり私の仕事が成り立ち、そこで会話も生まれるわけで、避けても避けきれないことも分かった。私が言っている人と会わない暮らしというのは、自分時間をできるだけ多く確保し楽しむということ。

 

幼稚園の頃の記憶から鮮明に覚えているんだけれど、私は本当に変わった子供で、幼稚園児の時に(自分は他の子となんか違う…)と集団生活に全く馴染めなかったし、小学校からもそうで、無理をして人と一緒に行動したりして、女子特有のグループ化の中に混じることも物凄く違和感があって嫌だったし、その中で浮いているのが自分でも分かった。

そんな私をいつも気にかけてくれていたのは女の先生だったな…と今気づいた。

遠藤先生、中山先生ありがとう。

 

うちの両親も高確率の発達障がい持ちで、親と子のコミュニケーションなんてものも親から学ぶことはなかったし、親同士がスキンシップをとっていることなんて見たことがない。

友達の家に行って、友達の両親がスキンシップをとっていたり、友達が親に甘えたりしているのを見ては驚いていた。

私の記憶として親とのスキンシップで覚えてるのは、手加減を知らない父親が、女の私や妹に本気で電気あんまをして、母親に怒られている記憶だけだ。あぁ。

 

自分の特性も交わって、未だに人とどうコミュニケーションを続けていけばいいのか分からない。どこからどのタイミングで、友達になるのかもあまり分からない。

なんでも話せる友達はいるし、会えば普通に話せるけど、なんか自分の中でとても違和感がある。よく分からん。私が相当変わっているということもあるんで、私と仲良くしてくれている人たちは海のように心が広く慈悲深い人ばかりだ。

 

対人で人と話すということは私にはマルチタスクが多すぎて疲れる。

それは対人に限ってで、インターネットやオンライン(スカイプやzoom)の対面会話はスムーズにいく。これも最近、インターネットだと、自分のタイミングでいつでも終わることができるし逃げる事もできるからだと気づいた。

 

自分がADHD/ASDを持っているということを子供の時に知っていれば、もっと良い方向に変わっていたのかもしれないけれど、あの昭和バリバリ時代には発達障害という概念はまだなくて、ただの(変わったおかしな人)として扱われ、運動体系理論をぶちかます、竹刀を持って生徒を廊下に並ばせるあの時代の先生なんて、きっと建設的な会話にもならず(努力がたりないからだ!)なんて言われ、高確率に無理解で差別するだろう…としか思えない。今の先生ですら、そんな教師はうじゃうじゃいるのに。考えただけで、無駄に、あぁ。。。だ。

 

35歳の時に自分が発達障がい持ちだと知って、私はものすごく腑に落ちて気持ちが楽になったんだけど、逆に落ち込む人もいるので、診断を受けることが必ずしも、前向きな手助けになるとは思えない。

 

母親に自分が発達障がいだと打ち明けた時は

 

「気づいてあげられなくてごめん」

 

と謝られたけど、その後は毎度のことながら発達障がいのことを言っても

 

「ふーん、お母さん難しいことはわかんないな」

 

と逃げられる。あぁ。子供の頃から親に相談しても、まともな回答が返ってこないし、話を流されるので、親に相談することもなくなっていった。

あぁ、そうだ、この人こんな人だったんだ、言わなきゃよかった。

と毎回後悔する羽目になる。

 

私の対人関係のつまずきの根っこにある問題は、こういった親との関係性も大きいんだろうなと思ってる。

来月から、初めての女医の発達障がいを専門とする病院に変えるので、相談してみようと思ってる。病院はできるだけ女医さんのところにしたい。

 

こういった私の対人関係が及ぼすストレスと難しさから考えて

 

人に極力会わない仕事を増やす

 

の方が今の私の理想の生き方には近いんじゃないかということで、そちらに力を入れてみることにした。

 

私は今、起きて珈琲を淹れる準備をして、その間に猫と犬に餌をあげて、寝室隣の作業場で仕事を開始するという生活を5年以上している。

社畜全開だった時は、朝の通勤から、横暴な運転や煽ってくる車に物凄くストレスを感じ、朝からとても嫌な気分になっていた。朝、人に会わずに仕事を始める、というたったこれだけで私のストレスは軽減されている。やっぱり、人間のストレスは人間と金問題だな。

隣の隣人が、あの母親は、あの娘は、息子は、あーでこーでと毎日、人様の家の事で井戸端会議して無駄にエネルギーを使っているような人間にはなりたくない。

 

よそはよそ、うちはうち

 

他人がこう生きてるとか、こう言っていた、とか心底どうでもいい。そんな、人の人生にへばりついてる時間も余裕も私にはないんだから。

自分のためだけにエネルギーを使い、余力があれば、頑張ってる気の合う友達たちへ心ばかしの生きる活力になるギフトを贈りたい。

 

人と極力会わないで仕事を増やすやり方はいくらでもあるんだけれど、問題はそれを自分が楽しく続けられるか。

 

人と極力会わないでできる仕事ってなんだろう。私が思うに

 

・せどり

・農家

・委託販売

・ライター

・画家/イラストレーター

・YouTuber

・プログラマー

・翻訳家

・投資家

・SE

 

とか。

知人から前に、廃村寸前の村に移住し、村の年寄りたちと落ち葉を拾い、それを売って年商億を稼ぎ出してる人の本をもらったことがある。

それを、東京の市場で働いてる友達に聞いたら、綺麗な紅葉とかは高級料亭なんかには高く売れると言っていた。すげぇクレバーだな。と思った。

 

あぁ、そうだ。先日は友達からの電話で、夜光貝を売って商売をしている人の話になった。自然にある単価がかからないもので利益を生み出す、素晴らしすぎるです。周りに自然がモリモリな人は、こういった生き方/働き方もアリかもね。ただ同然のものがお金に変わるなんて夢のような話だ。

 

私もそちら方面で新しく仕事をしようと先月は資格も取った。なんせ、我が家には畑があるのに、それを数年、生かしきれてないのは勿体なすぎる。しかも土壌汚染はなし、0ベクレルなのに。

昨日見た、中村哲さんのドキュメンタリーに感化され、私はやる気でいっぱいだ。おっす。

 

いつもの悪い癖で、エンジンがかかりっぱなしにならないように気をつけよう。

 

珈琲豆がなくなる前にNAOさんの所で注文しようね

 

丸山さんのこの本は大人が読んでも、心が軽くなる良本だった。

 

今日も怪我をしないように適当に頑張ろう。

 




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