しかくい山 

人と極力繋がらない暮らしは不幸なのか?をテーマに生きる。

違和感を感じる人とは離れた方がいい話

(記事の最後の方に🐸の写真が出てきますので、🐸が苦手な方は読まないでください。)

晴天。今日もとても暑くなりそうだ、夏休みに入って、いつもは静かなこの場所も、時折朝から子供達の楽しそうな声が蝉とともに聞こえてくる。昨日は三角コーンが溶けている画像や、蝋燭が熱で曲がっている画像を見てしまった、怖い…これだけ危険推移の暑さの中、部活動を炎天下の下で長時間している人たちが理解できない。大人の危機的能力の欠落で一体どれだけの子供たちが危険な目にあってることか、大人…お前たちが燃えてしまえよ…とすら思う。

見下し猫を描いた。メルカリで#ナカタマイ で検索を。こちらはSOLD OUT

今日は久しぶりに夢を見た、中学生の時、下校中に呼び止められ、外で告白され、少しの期間お付き合いした元彼が出てきた。手も繋いでない?なんだか、あっという間に終わってしまったお付き合いだったけど、とんでもなく優しくていい人だった。嫌な記憶が1つもないし、無論とても優しく大切にしてもらったという記憶しかない。その彼にはお兄さんもいたんだけど、そのお兄さんも部活の先輩で、とんでもなく優しい人だった記憶がある。

そんな元彼が初めて?夢に出てきて、夢の中でも物凄く良い人だったので、何かあったのか?と心配になって、初めて、出てくるかな…?と寝起きの頭で名前を検索してみたら、面白いことに、有名高校の有名な?同姓同名のGKが出てきた。何が面白いって、その元彼もGKをしていたからだ。不思議な気持ちのまま、ゆっくりベッドから離れ、いつものように珈琲を淹れながら、優しかったあの人のことを思っていたら、私が今こうやって、人と極力繋がることをやめても、穏やかに暮らせているのは、優しい人たちの記憶や、優しい人たちに囲まれて生きているからだなぁ…と。もちろん、思い出したくもない嫌な経験なんて人一倍してきたけれど、それでもこうやって、暗黒堕ちしないで、奪うことより、与える喜びを感じ、穏やかに暮らせているのは優しい人たちの存在があった/あるからだ。

 

41年間生きてきて、いろんなタイプの人間に会ってきて、あぁこの人は…損得勘定で人間と付き合ってるんだな…とか、人の時間とエネルギーを奪うだけの人だな…とか、吐き出す言葉とは反対のことを腹の底で思ってるなこの人…みたいなことを気づいてしまうようになった。その違和感を感じながらも、毎回嫌な気分になりながら、その人と関わっていると

 

あぁ、早く離れとけば良かった

 

と大抵後悔することになる。出会う人全てと打ち解けて、仲良くなれて、その後も円滑な関係をストレスを感じないで続けていける人ってのは、もうそれはその人の天性的な特技のようなものだと思っている。私も昔はたくさんの人たちと繋がっていたけれど、今はそうではない。

心許せる優しい人が淡い優しい色で世界中にポツポツと灯のように存在している、その淡い優しい灯りは多くはないけれど、強くて優しく消えない、私の心の強い支えだ。

 

コロナ禍になってから、自分というものと、生き方を深く考える時間もたくさん生まれた。想定外の事態はまた起こらないとは言えないし、もしまたそうなった時に、災害や震災や人災が起こった時に、自己責任を押し付けてくるこの国で、生き残っていくためには何をどうしたらいいかを考える力がどんどんついてきた。

中国の痙攣していた人々にまんまと騙された…中国め…世界のダースベーダー達め…

 

コロナ禍になってから人間関係も見直すきっかけとなった。

どう接しても、毎回(この人はどうしてわざわざ、その言葉を私に言ってくるんだろう。遠回しに言ったりするんだろう、かまってオーラが凄い…)と関わると毎回、言葉の棘が刺さって、その棘は抜けても、ずっと心の中に留まる。そんな人と、ごくたまに出会う。勝手にライバル視されてマウント対象としてターゲットにされたり、もう…勘弁してよ…な人と遭遇すると、自分の心がけ次第だと、相手の良い部分も探そうと頑張ってみても、その人のことを考えるだけでエネルギーが物凄くなくなっていく。どう頑張っても交われない人がいる。

コロナ禍、そんな人とは思い切って関わることをやめようと決めた。実際、違和感を感じながら毎回都合よく使われ、付き合ってきた何十年という付き合いの友達(だった)はブロックした。ブロックしたのに、違う番号で追い電してきた時は、酷すぎて爆笑した。そしてまたブロックした。

私のことを蔑ろにして、疎遠になっていたのに、また近づいてきた知人や友達とも縁をきった。

 

私を人として尊重し、大切にしてくれる知人/友人だけと今は深く繋がっている。

思い切って、違和感を感じる人との繋がりを断捨離したら、ストレスが大いに激減し、不要なイライラも嫌な思いをすることも皆無になり、知っている人からもらうストレスもなくなって、思い切って良かったとしか思えない。

組織内で働いていない1人で働いている今は、無理をして人と繋がっていく必要も選択もしなくてすむライフスタイルになったのだ。

よく、フリーランスや自営業は人との繋がりが大切だ。人脈が大切だ。と言われているけれど、私みたいに極力人付き合いをしないでいる人間が5年以上、フリーランスとして食べていけているんだから、

 

人との繋がりこそ金が生まれる

 

のには懐疑的だし絶対的な正解とは言えないし、実際に経営者との人脈を増やしてみようと繋がってみたこともあるけど、とんでもないストレスしかなかった。笑

人1人1人が持つ周波数みたいなもんがあって、自分が苦手な周波数をもらいダメージを食らい続けていくことより、自分が落ち着ける周波数を出している人と心地よく緩く繋がっていたい。

 

物価も上がり、世界もトンチキなままで、生きてるだけで金がかかり大変な時代。

自分が不快だと思うことや、違和感を感じる付き合いを、なんでストレスを感じながら繋がっていなくちゃいけないんだよ、人生なんてあっという間に終わるってのに、

 

無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!!!!!!

まさにディオスタンド出現。義務教育中の学校という、洗脳ボックスでは回避することは難しいけれど、大人になった今は、選択することができる。違和感やダメージを感じる付き合いは人生には不要である。

 

ツチガエル??

昨日はこの生き物と出会えた。飛び方が垂直で動きがアマガエルより速かった。




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