しかくい山 

人と極力繋がらない暮らしは不幸なのか?をテーマに生きる。

台風だからできること

三重県の我が家も雨風が強くなってきた。台風の何が嫌だって、この古民家、とにかく窓とガラス戸がめちゃくちゃ多い。機密性なんて皆無の古民家なんで、突風が吹くと全てのガラスが振動音を出す。となりのトトロのシーンの風呂場の2倍ぐらい凄い音だ。振動しているガラスはガタゴトと凄い音を出しながら大騒ぎするので、毎度ガラスが割れそうで物凄く怖い。朝方から本格的な台風となるらしい、私が住んでいる場所はまだいいけれど、全国屈指の雨量を誇る尾鷲や熊野古道地域、和歌山の方々、そして他地区も最小の被害でありますように。

いつも台風が来ても植木鉢を大量に外に積み重ねて出しっぱなしの家、その人の家にその植木鉢がぶっ飛んでガラスがたくさん割れて(あぁ、ちゃんと片付ければよかった…)と気づいてくれますように。うちに今回も飛んできませんように。。。

 

昨日は雨風が酷くなる前に少し食料と水を買い足してきた。こないだの奄美大島や沖縄の台風で、友達たちが大変な目にあったことを電話で聞いていたので(食料がスーパーになくて)離島ではない、台風の中でもトラックを休まず走らせてくれている人たちがいることに感謝の気持ちが湧いてくる。ありがとうございます。そんな私も明日は台風で身動きが取れないと思い、昨日は売れてたまっていた商品たちを、いつもより早い時間に、いつものヤマト運輸さんにお願いしてきた。

(台風の影響で遅れる可能性があります)と言われ、物流の人たちの方が総理大臣なんかより確実に国民の生活を助けてるわ、と思った。

もう、いくら遅れても構いません、ありがとうございます。運送会社の方々の給料を上げてあげてください、そんで運送会社の人たちのガソリン代を安くしてあげてください。ついでにガソリンの二重課税は全国民一律廃止でお願いします。

 

猫たちは雨風の音にもなんのそので、いつものようにくつろいでいる

台風でとにかくやることがない。やることはあるけど、台風上陸中に仕事もしたくないし、ガラスの振動が怖くて寝れないし、座っててもソワソワするので、中断していた部屋の断捨離と作業場の模様替えをすることにした。

先月、くつろぎコーナーを作ってみて得られた気づきは

 

片付けが苦手な人間は床に座るな

 

と言うことだった。どうゆうことかと言うと、私のような片付けが苦手な典型的なADHDは床に座って生活してしまうと、床にどんどん荷物を置いていってしまう。結果、隙間がなくなっていき、世が言う

 

汚部屋

 

へとなる。汚部屋絶対いや。部屋の状態は心の状態とは良く言ったな。くつろぎコーナーがいつしか作業場になってしまい、床に座ってしばらく仕事をしていたら四方八方に物が置いてあって、せっかく綺麗になっていた部屋が見るも無惨な状態となってしまっていたので、台風でどこにも行けないし、作業場を作り直そう。と息子にも手伝ってもらって、重たい作業ディスクをせっせと2人で涼しい場所に移動し、ローディスクは撤去した。そのついでに床に散らばっていた、紙、ペットボトル、雑誌、小説類を捨てたり、まとめたりして、また見違えるように綺麗な部屋になって、とっても気分がいい。どうやったって片付けが苦手だったのに、自分の脳の特性と片付けが得意な友達のアドバイスもあって、数年かけて、やればできる子になった。感動、感動である。発達障がいは病気じゃないので特性自体が治ることはないけれど、習慣化すればある程度までできるようになることは可能だ。だからと言って、不快指数爆上がりの自分の不得意な部分を根性論で叩き直そうとは思わない。それはなんか違うし、相手からそれをされるのも凄く辛い。もうずっと会ってない家族がこの状況を見たら、あまりにも綺麗で絶句するだろう。

やればできるんだ私だって。もう豚小屋とは言わせない。

 

何年も手付かずだった場所もピル服薬で鬱症状がなくなったので、ささっと重力なく手が出せるようになった。その手付かずだった場所を片付けていたら、震災用に作った震災用ボックスの中にラジオが入っていて、おもむろに手にとり、電池を入れて電源を入れてみた。

深夜ともあって番組数は少ないけれど、なんかクラシック調の私が好きな感じの歌が聴こえてきたので、その番組を聴き入っていた。

 

綺麗に聴こえるまでダイヤルを合わせるのがなかなか難しい

こんなに長い時間ラジオを聴いたのは中学生ぶりだなぁ…と自分でもびっくりした。小さいラジオから飛び出してくる音はなんだか温かみを感じた、台風が来ている不安からだろうか。

凄くいいなぁ、と聴いていた音楽の題名が知りたくて長いこと聴いていたのに、肝心なところで周波数が合わなくなってジジジジジジジと言う不快音。テンパリカーソルを行ったり来たりしても、なかなか元の位置には辿り着けず、やっと周波数があって、綺麗に音を拾えるようになった時には、番組の終わりを告げているパーソナリティ。あぁぁぁ。となりながらも、物凄くラジオっぽいな…と可笑しくなってきた。台風が来ていなかったら、そして私がデジタルデトックスをしていなかったら、ラジオを目にしても、こんな風にラジオを聴くだなんてしていなかっただろうし、ラジオで流れた曲を(あ、これいいな…)と思っても、さっきみたいな周波数がおかしくなって肝心なところで聴けなくなってしまったりすると、Apple MusicやYouTubeのように(また簡単に探せるし)がないので、曲に対していつにも増して、1つのお気に入りの曲をもっと聴きたい、大切にしたい…みたいな懐かしい気持ちが湧いてきた。1990年代までは音楽1つ1つにもっと重みがあった。きっとそれは1曲を千円ぐらいのお金を出して購入していたからってのも大きいと思う、今みたいに聴きたい曲が簡単に聴ける時代じゃなかったから、曲に対して敬愛みたいなものが確実に私の中ではあった。今では、どれを聴いても歌が軽いとかじゃなくて、音楽に対して敬愛みたいな物があまり湧いてこない。今も音楽は好きだけど、昔みたいな熱量はない、不思議だ。

あぁ、便利さって、知らず知らずのうちに大切な部分を失っていってしまうけれど、音楽に対してもか…とちょっと悲しくも1990年代の自分が音楽を心から愛していた気持ちが蘇ってきた。思いがけないラジオからの気づきがあって、こんな深夜になんだかちょっと不安な気持ちが和らいでる。

 

私が1番好きな曲を聴こう。

 


www.youtube.com

 

そして、もう少しだけお片付けすることとしよう、そのあとは本を読みながら1番台風がひどい時間帯に爆睡する可能性大。いつでも飛び起きて逃げれるようにだけしとこう。

 

何事もありませんように。

 




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