私は今、ブログの題名にも記してる通り
人と極力繋がらない暮らしは不幸なのか??
をテーマに実験的な暮らしをしている。何度も誤解がないように書いているんだけれど、私が言っている、人と極力繋がらない暮らしというのは人を避けた暮らしではない。そんな事は実質不可能だし、たくさんの誰かの働きがあって私の生活も助けられていて、私も正しいお金の使い方をしてくれる人を選び仕事を委託し、相互扶助の精神で暮らしている。奪うより与える喜び、私の座右の銘の1つでもある。
私が今している実験的な生き方は、言い方を簡潔にまとめると
バリッバリな個人主義
だなと今日思った。
どうして日本だと個人主義=冷たい・協調性がない
みたいな固定概念が浸透してしまっているのかを考えてみる。
個人主義を検索すると
❶個人の意義と価値を重視し、個人の権利や自由を尊重する考え方。
❷教育で、各人の個性を伸ばすことを主眼とする教え方。個性尊重の教育方針。
❸経済活動で、個人の自由競争が経済を発展させるために最も有効なものとし、国家の干渉や統制などを否定する考え方。
❹他人のことを考えないで、自分のことだけのために行動する考え方。利己主義。
とされている。❶、❷、❸は集団美徳が先行している今の日本にはとても重要な思想で素晴らしい。❹は全く賛同できないけれど、この❹が超くせもので❶、❷、❸をすっ飛ばして、個人主義の固定概念として浸透してしまってるんだな…とクラクラしてくる。
それだと個人主義=冷たい、協調性に欠ける
になるのは納得できる。私が行なっている個人主義は❶、❷、❸が主軸となっている。
自分が35歳の時に発達障がいを持っていたという驚くべき事実が分かった時に、今までの生き方では残り少ない人生、何かを削らないと巻き返しができないと思ったのも、この、人と極力関わらないというライフスタイルに変化した理由でもある。物凄く生きづらく、人との繋がり方もしっくりこない、自分の生きていく指針があやふやだった35年間という長い年月は、あまりにも人生という貴重な時間を浪費しすぎていた。
自分の人生をしっかり自分らしく歩いていくには人との繋がりより、自分の特性を客観的に観察し研究し、自分との対話と自分の人生に集中することだけが何よりも大切なことだと気づけた事は、35年もかかってしまったけれど幸運だった。この個人主義的なライフスタイルは解毒でもあるなと思った。自分の中に深く植え付けられてしまって、自分を苦しめ続ける、赤の他人が勝手にのたまう、無数にあちらこちらに散らばり同調を求めてくる(普通)の概念を壊す、自分を解放する作業でもある。
デンマークでは子供の頃から授業でデモクラシーについて普通に話し合い、多数決では必ず多数だったから(はい、これに決まりました)ではなくて、少数派だった人たちの意見も聞いて、またそこから再考すると知った。素晴らしい。
日本に確実に足りないものを目が潰れるほどに見せつけられた気がした。日本がしていることは少数派の意見もとりあえず、ギャーギャーうるさいから聞いとけばいいよが大半で、それは政治にも浸透している。とりあえず、やってるポーズだけ取っとけばいいみたいだ。問題の本質と本気で向き合うことをずっと避けている。そんなやり方だから、年々、日本の大人は精神がとても幼稚になっていってしまってるんだろうなと納得できる。自分たちの生活に直結しているたくさんの問題を、多くの人が(面倒)と避けている。昔の人たちの著書を読むと、欧米などに引けを取らないほどに精神が完熟していて、素晴らしい人格者であるのは一目瞭然に分かる。もちろん今だって素晴らしい人たちはこの国にたくさんいてくれているけれど、昔と比べ人間としての熱量が足りないと感じるのはどうしてなんだろう。昔の人たちの話を見たり聞いたりすると、そこには信念たる熱量が伝わってくる。日本の個人の意思を無視した集団教育方針は言わずとも弊害だけど、インターネットの普及が大きな原因なんだろうか?
この世の中、大多数だから正解だとは決して限らないよね。そのことを昨日は成人を迎えて、色々な話ができるようになった頼もしく成長してくれた息子と深夜に話したりしていた。
昨日は過去に読んだ書物をまた読み返してこの文で目が止まった。
プラトンさん、流石です、心に染み渡ります…真髄を熟知されている…と心の中で唸った。まさに今、めちゃくちゃ俗悪なものたちに支配されまくっています。助けてください。2400年前にこの言葉を残したプラトン、おいー!!!!2400年間、人間なんも変わってねーじゃん!!と、どーしようもない気持ちになってくる。
人と繋がる事は素晴らしい。繋がりにより、自分では気づけもしない視点や知識のアップデート、発見があることも重々知っている、だからこそ人と繋がることは素晴らしいのです。でもなんか41年も長く人間界で生きてると、すいも甘いも知り尽くしてしまって人間の本質がこれでもか…と特に311の東日本大震災では福島県内で人権問題とかについて、バッチバチにバトルしたりしてきたので、もう、人の本質なんて結局、他人があーだこーだと説得したところでは大半不毛なエネルギーだってことに気づいてしまってからは、なんか若い時みたいに
人とガンガン繋がるぜ私!!!!
みたいなのがなくなってしまった…時代がどれだけ変わっても、人対人でいざこざができるわけで、いつになっても人間は争って奪い合うことをやめなくて、いざって時には話あったり、助けに向かったりはするけれど、たくさんの人と繋がり続けていくってことが年と共に変化してきた。人と極力繋がらない…ということそれは自分の中でマイナスでも悪いことでもなくて、むしろストレスが減って、自分の時間に集中できることなので幸せなことだなとも気づけた。
この生き方を実験的にするようになってから、いろんなことがアナログになってきている。手紙を書く時間が増えたり、ラジオを聴いたり、庭の整備を仕出したり、庭で本や新聞を読んだり。インターネットから離れる時間を作ったら、インスタグラムで友達、知人、知り合いに(いいね)をしに行かなきゃ…みたいな時間もなくなったし、無駄にインターネットを徘徊する時間も減って、怠さがなくなっていった。
インターネット普及の年から爆発的に鬱患者と自殺者数が右肩上がりに増えていることが全ての答えのような気がする。
好きな時間に起きて、好きな時間に寝て、好きな時間に仕事し、好きな時に行きたい場所に行く。今の自分のライフスタイルは完全な個人主義だ。
誰にも縛られず、誰にも命令されず、自分という1人の人間が思考し、行動し、生活している。彼氏どうして作らないの?と聞かれると、1人がサイコーだから。と答えても、強がってぇ…みたいな、トンチキな返事が来たりすると、誰かと常にいることが幸せみたいな勝手な他人軸の価値観と、人に対しての無自覚依存て、他者にもそれを(誰かといない人は寂しくて不幸)みたいに当てはめてランク付けされたりするんだから、こえーな…と最近はさらに強く思う。
個人主義は最高だ。
最近、車を運転していると猫背で歩いている人が増えてきたように思う。
暑さのせいだけではないと思うのは私だけではないはず。
みんなが自分らしく、自分の幸せだと思える価値観の中で、人に自分の思想や価値観を無理に強要するでなく、笑って過ごせる人が増えていくような国に住みたいなと切実に思う。
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