しかくい山 

人と極力繋がらない暮らしは不幸なのか?をテーマに生きる。

苦手だった他者との分離がうまくできるようになってきた話

今でもあの時のことは鮮明に覚えている。

 

親に言われた

 

お前は天皇陛下か!!!!

 

と言う言葉と、あの時、肌にくっついて大嫌いだった合皮のソファーに太々しく座る小学生の自分と、それに激怒している母親との状況。

ある日、親戚が急に訪ねてきたんだけれど、物凄く楽しみにしていて、やっとレンタルできたビデオに夢中になっていたので、横でうるさく会話する声がとても鬱陶しくて、楽しい時間を邪魔されてる気分にしかなれず、不貞腐れていた。

誰が見ても私は顔や態度に、嬉しいや怒りの感情が出てしまう。その時は親戚が私のそんな態度に気づいて、気まずそうにしていたのも覚えている。(本当にごめんなさい。)

 

感受性が人より強すぎるのもあって、目の前にいる人の感情を、どうもミラーリングしてしまうし、1度苦手だな…と思うならまだいいけれど、嫌いだな…となってしまったらもうだめ。天変地異が起きても私の性格はその人を好きになんてなれないし、その人と同じ空間にいることは、もはや全身を焼き尽くされているような地獄であるぐらいに、白黒思考。

 

親にはよくそれを子供の頃から言われていた。

 

あんたは嫌いになったらとことん嫌いになる性格だ。と。

 

私だって、嫌いになるにはそれなりの理由があるよ。

ただ、気に食わないとかではならないんだよ。

そうなってしまったほとんどの原因は、私を利用したり、侮辱したり、弱者を攻撃して楽しんでいたり、IQは高いけど知性がなく人を不快にさせ相手のエネルギーを奪い自分の養分にするような人、騙そうとしたりしてきた人。対等ではなくヒエラルキーで人との繋がりを維持するような人。

 

そんな白黒思考が強い私も、35歳の時に自分が発達障がい持ちだと知り、自分の特性をとことんノートに書いて研究し、自分の弱い部分を徹底的に分析した結果、

 

人と極力繋がらない暮らし

 

が自分の人生を向上させ、ストレスをできるだけ排除でき、幸せを実感しながら生きれることだと思い、実験的に今そのライフスタイルを選び暮らしている。

私はイラストレーターとして誰にも会わずに静かな一軒家の自宅で仕事している。

最近は10代の頃から刺青文化オタクだったこともあって、絵も描けるし、自分もたくさんはいってるし、自分でやっちゃえばいいじゃん。と彫師の仕事も加わった。

ただ、人と極力繋がらない暮らしは今後続けていきたいので、1日の予約は最高2人までに抑えていきたいな…と思っている。

 

それに加え、物価高騰や、安全ですとか言って12年前にタイムスリップしたのか?と思わせる、汚染地でサーフィンしてる壮大なバカを見たり、下限値がクソほど高くなった日本の基準値の食材を「美味しいです」なんてやってるこの国。

 

変革と人としての進歩を様々な意見を交え、権力側に都合が良い人選ではなく、公平にディスカッションすることなく、いつになっても資本主義優先。

知性がなく物事の本質を根本から拒絶してしまっているんで、もうほんとにダメなんだな…と失意と落胆がミルフィーユのように重なり続け、畑仕事も我が家では再開しだした。

 

畑仕事はいいぞぉ。って人の気持ちがわかるよ。畑は平和そのものだもんね。

土いじりはエネルギー吸い取られるし、水やりと草との戦いが苦行でしかなかったんだけど、最近では効率よく対策できるようになったので、少しづつ楽しくなってきてる。

アーシング…畑でも今度やってみるか…

 

 

時間を大切に使おう

 

ネットでよく見かけるようになった

 

これからは人との繋がりが重要な時代

 

みたいなのにも疑問があって、こんな殺伐とした時代だからこそ

 

人との繋がりより、自分の強みを強化させていく

 

を重点的に考え人生の整備をしていった方が私的に良いと思うんだけど…と思ってる。

それができてからの人との繋がりじゃないと、依存になってしまうような気がする。

依存は悪いことではないけれど、できるのに人に依存する、は私的になんかモヤモヤしてくる。

 

人との繋がりを円滑にできる人っていうのは、私みたいに、人との繋がりが密だと疲れるし、人生が狂うってタイプの人間からしたら、それは突起した+の特性なんであります。

そういった人たちは実際どんどん横の繋がりを増やしていけているし、ただただ凄いなぁ…と感心しながら見ている。

それを(繋がって繋がって)と押し付けられたりすると、あぁぁあ…と私の心が弱ってしまうので困る。

 

自分てものを知らないと、人生はいつになっても定まらない。

心は満足せず、彷徨い続けてしまう。ってのが35歳までの私だった。

 

最近は仕事以外で人と会うことを、1週間に1度ペースに意識的に抑えるようにしている。会うってのは、世間話ができるような関係性の人と。

 

僕たちは密が安心する

 

そうした実験と、デジタルデトックス。ネットに張り付いてTwitterやインスタグラムのリールや、他人の生活感や何を食べた、何を買った、そういった類のものは極力見ない、頭の中に入れることをしない、を意識して過ごすようになってからは、触れ合う人の感情や言葉を受け流せない性格だった私が、うわ…こいつ、なんでわざわざこんなこと言うん?とかでも

 

へぇ。そうなんだぁ。ふぅん。

 

と自分とは切り離せて最近思考できるようになってきたことに今日気づいた。びっくりだ。

今までの私だったらありえない。

 

自分が侮辱されたりしない限り、その人の発言はその人単体の発言であって、嫌な気分になるな…と少しでも思ったら、その人にはその言葉しか選ぶことができなかっただけで、わざわざ自分に言っていない限り、自分の心がその言葉でいちいち揺れ動くということは自分の心が疲れているのかも…と考えてみる。

 

大抵自分に余裕がなかったり疲れていたりすると、他人の言動が自分に勝手に刺さってきて、いつまでももがき苦しむ羽目になる。一人相撲だ。

 

まさか、ここまでデジタルデトックスが自分にとって有益な作用に繋がるとは思ってもみなかったし、自分の様々な感情をインターネットに支配されていたのかと思うとマジで怖い。

デジタルデトックスのメリットの部分が桁違いに多いということは、他者の情報を遮断し、できるだけ大衆世論には近づかないようにして、ネットに張り付く時間が激減したことにより、私の心身を徐々に回復させ元気にしていっている。

 

自分のありとあらゆるディテールに余裕や隙間を作る意識。

行動と意識の自浄作用に最近は驚くばかりだ。

 

ネットで知人や友達や知らない人の、家庭内の事情がいつでも見れてしまうことって、現実社会で例えれば、クリアボックスの中で生活しているのと一緒だもんね。

 

それはお互いにとって、休まることはないし、疲れるに決まってるわ。

 

クリアボックスはいらない、自分の人生に集中しよう。

 

この山羊、寝ながら口を動かしてた。このぐらいの余裕に到達したい。

 

 




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