霧雨の朝、昨日はせっかく雑草をいつものように引っこ抜いたのに、これでまた雑草が活力を取り戻してしまうな。むむ。
雑草との戦いに疲れ、諦めて見て見ぬふりをしていても、雑草はそんな事気にもせずに、ぐんぐん伸びて害虫を呼んだり、荒れた土地をイメージさせ、私の心を不快にしていく。
中村哲さんのドキュメンタリー、荒野に希望の灯をともす、を見てから私の、1日のルーティンに新たなルーティンをいくつか足して、それを定着させろミッションが少しづつだけれど、できている。どうもこの、毎日の決まったルーティンに変化を加える作業はASDの特性で物凄くエネルギーを使うし苦手だ。
決まったことは過集中なまでにできるけれど、少しでも(面倒だな…)と思ったことについては、その物事に強力な結界が張ってるような感じで私を近づけなくさせる。
誰もが(え?)となる、突拍子もない事を急にして、驚かせ、大雑把で大胆な私のADHDの特性と几帳面でルールを遂行する、型を守り、哲学を愛する私の特性ASDの、両極端な2つの特性と性質がいつもぶつかっては、あーでもないこーでもないと、頭の中でディスカッションし始める。あぁ、とんでもなく面倒な自分、でも大好き。
肩書きから想像する固定概念を壊す話
先日の福島原発からの汚染水を(処理水)と言い換えたり、12年前に戻ったのか?と思わせる、福島の食材安全ですプロパガンダを見て、政治家ってやっぱり心底信用できないな。と思った。私のように福島から避難している人間たちのことなんて、ない者として扱ってるくせにどの口が言うか。金になることには操られた腹話術師のように、目は笑ってない不気味な笑顔でPRしたりを相変わらず続けている。
政府が安全ですと連呼している時、安全だった記憶がない。
責任を取ります。
と言っておいて、あとは責任なんていつものように取らずに辞任して、後任に任せればいいだけの仕事なんだから、もうなんでもありだ。
おまけに中国の話や韓国の話も出てきて、海洋放出は日本だけではないとおびただしい数の火消し要因が導入されている様を見ると、あぁ、ほんとに福島原発の汚染水は危ないんだな、と逆張りになっていて死んだ魚の目になる。福島原発の汚染水がなぜ危ないのか、規制がまだ緩いTwitterなどで探せばまともな主張をしている人たちがたくさんいるのに、政治家という肩書きや医師、ジャーナリスト、著名人という肩書きに騙されてしまう人が今回も多発して、安全、安全ではないのまた2つで分断されていくんだろう。あぁ、だよね。
いつまでも同じステージ、12年前の地獄アゲイン。
叩いても叩いても延々と出てくるモグラ叩きみたいだ。
トーンポリシングも大好きだよね。ご馳走様!
たまにいく本屋、本屋なのに本を大切にしていない本屋で私的にじわじわきてしまう。
棚と本は埃だらけだし、新刊なんて表紙が汚れているものまである。
手に取った新刊の側面に小さな石が綺麗に埋め込まれていて、ここまでくると流石だな…と心の中で笑ってしまった。
誰が見ても本を大切に扱っていない。
紙と本を大切に扱わない人間とは仲良くできない。という私の基準からは大きく外れていて、しかも本屋なのである。
本屋だから、本を大切にしているっていう私の固定概念が崩された大きな気づきの場所だった。
医師でもそうだ、医師だから素晴らしい。という私の固定概念も今ではない。
傲慢で、患者を小馬鹿にして扱う医師なんて五万といる。
患者の不安を、小馬鹿にして鼻で笑う医師の多さ然り。日本だけではなく。
ヨーロッパのある人気精神科医は裏では酷いレイシストでパワハラ体質だった。
医師だから素晴らしいって?人間的には?そこが1番肝心。
花屋をしているから心も美しい人ばかりだなんてのも嘘で、以前アルバイトしていた花屋のジジイ経営者は、お金がありそうな子連れの親の子供にはお菓子セットをあげてごまを擦り、お金がなさそうな親子には私の所にわざわざ来て「あの親子にはお菓子あげなくていいからね」なんて、とんでもないことを言うような奴だった。
私が今、ピルでお世話になっている女医はとても信頼できる女性なので、そんな医師に出会えたことを幸運に思う。
先日は
ピルで痩せなくなってるんですよね…
と相談したら、身長と体重を聞かれ、すぐさま電卓を叩く女医。
その身長だと67キロまで大丈夫ですね、あと10キロ以上大丈夫です。痩せすぎても、太りすぎても死ぬ確率は上がりますから。太ったというのは体調が良くなったからかもしれません。
と言ってきたので、笑った。背は小さい方ではない私だけれど、先生…67キロはさすがにちょっと…
でも太っていく自分を鏡で見るたび、憂鬱な気分になっていたので、あと10キロ以上大丈夫という意見は気持ちがだいぶ楽になったし笑えた。
この女医、発達障がいについても詳しくて、質問には全て的確に答えてくださる。
なんてなんて心強い医師なんだ。。。
肩書きという先入観で人との接し方を変えない。
どんな肩書きがあっても、人と人は対等である。
という自分ポリシーがあるので、肩書きで勘違いして初対面から偉そうにしている人間には、尊敬のそのじも湧かないし繋がりたいとも思わないので、とっとと縁を切って離れるが吉日。
肩書きになんて騙されてたまるか。
私統計では、人によって態度を変える偉そうな人間って肩書きがある人間が多い。
とにかく偉そうな人が苦手だ。悲しいことに、こういった人間は社会では成功する確率が高いし金を稼げる。あぁ、最悪。
素晴らしい肩書きがあるのに、人を尊重し、偉そうにしていない、人対人の関係性を築ける人が好き。自分の想いと言葉を大切にしている人が好きです。
おかげで私の周りは、そういった偉そうな人間を避け続けた結果、穏やかで、物腰が柔らかく、お互いの距離感を大切にし、尊重しあい、丁寧な人たちばかりになって、とてもとてもストレスがない。しかも、みんな穏やかなのに、ここぞと戦う時はしっかり容赦なく戦うめちゃくちゃ強い人たちだから更に好き。
何かを主張するって、損をする事も多いけれど、それ以上に、自分が必要としている人が寄ってきたりもしてくれるから、プラスの方が大きいと感じる。
自分の中にある固定概念とヒエラルキーをぶっ壊す作業は
こうしなければいけない
がなくなっていくのでQOLがどんどん上がっていくから最高だ。
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