しかくい山 

人と極力繋がらない暮らしは不幸なのか?をテーマに生きる。

キラキラが眩しい時は要注意の話

昨日は、iHerbでたくさん購入した支払いをコンビニ払いにしたので、その支払いのついでに、近くの知人に(これはいりますか?)と電話して問いたら、大好きです、というのである物を持って山へと車を走らせた。

 

日中はまだまだ暑い。

先日、名張からの帰り道に、峠の沿道に鹿の親子が何かを夢中になって食べていた。こちら三重県に移住してからは、こんな光景が当たり前になった。

田舎道で何回か鹿がロードキルされてしまっていたり、飛び出してきた鹿と衝突した車が大破している戦慄たる光景を目の当たりにしているので、田舎道を走る時は法定速度で走るようにしている。夜なんて、道の真ん中で棒立ちしていた鹿と遭遇した時もある。

私はこの鹿達をヤックルと勝手に呼んでるんだけど、あんなでかい体で横から急に出てきたら避けようがない怖さがいつもある。

100キロ近いであろうスピードで走ってる車とすれ違うと、命知らずだなぁ…と感心してしまう。

 

大人ジャム

ブツブツ交換で大人ジャムをいただいてしまった。なぜ(大人)と書いてあるかはアルコールが入っているからだと聞いて、いつもの遊び心にフフッとなった。

もうしばらくしたら、トーストしてカリカリになったパンに塗っていただこう。

 

実はここのところ、添加物モリモリの韓国麺にハマってしまっていた。韓国料理は恐ろしいほどに人間を夢中にさせる。たまに、わざと毒を体の中に入れて

 

「あぁ、添加物うめぇ…」

 

とやって体を無菌室にしないようにしてるんだけれど、今回はやりすぎた。食べすぎた。口内炎で口の中が酷いことになってしまっている。

 

あぁ。体が

 

「あなたね!好きになるとそればっかりしか食べなくなる!!明らかに食べ過ぎなんですよ!!今回は修復に物凄く時間かかりますよ!!!!」

 

とめちゃくちゃ怒っている。

ごめんなさい、やりすぎました、食べすぎました、自省します。

 

キラキラが眩しい時は要注意の話

この年になって色々な経験をしてくると、自分の特徴と傾向がわかってくる。

何をされたら嬉しいか、何をされたら不快になるか、どんなタイミングで前に進めるか。

どこへいけば心地よいか、どこへいけば不快な思いをするか、など。

分析に分析を重ね、面倒な自分も嫌というほどに理解できるようになってくる。

その嫌な自分とどう折り合いをつけて、向き合っていくかが一生の課題でもある。

どんな生活をしていても、人と関わらないという暮らしは無理があるので、自分がストレスを感じない選択を増やしていくしかない。

 

自分の心に本当に余裕がない時は

 

キラキラしている人

楽しそうにしている人

 

を見ているのがしんどくなって心が窮屈に、視野も狭く狭く内側に閉じてくる。

そんな人たちに一方的に怒っても、その人達からしたら(は??)で、さらに亀裂が入るだけで、お互いになんの徳にもならない、まさに不毛。

 

今、日本の悲惨な現状や政治に実効的になぜもっと怒りを表明しないのか?

とはずっと思っているけれど、多くの日本人は、集団優勢思想の学校教育で思想の根っこを破壊されてしまってるので、怒り方や、戦い方が、ただわからない(いけないこと、恥ずべきこと)と勘違いしているんだと思う。理不尽さや人権についても普通に世間話のように話せる世界線が欲しいな。

 

黙っていても問題は悪くなっていくばかりなのに。学校でいじめをしている集団に、自分もとバッチリを受けないように見て見ないふりをしている人たちとかぶる。

とばっちりをかえりみず戦ってくれている人たちありがとう。

 

他人に対して怒りの感情が爆発しそうになった時、そう感じたときこそ、サイコロでいう10回休みの効力を発揮しなければいけない時だ。ここまできてる時はもう1番は寝まくるしかない。ただ、本当に怒らなきゃいけないような時も多々あって、乳児がギャンギャン横で泣いているのに、ゲームに夢中になっているような人間類には魔人ブウになってよしだ。

行政しかり、政治家然り、権力者に対しては、自分の生活と密にリンクしているんだから、体たらくぶりには、しっかり意思表示し怒らないといけない。

 

疲れやストレスの根本的な原因を排除できない状況の時は、とりあえずそこから抜け出せる策を練り続けるしかない。

 

生きるということは自分との終わりなき戦いなのであります。あぁ。

ミスチルのesが頭の中で流れだしたよ。

 

客観的に自分の今の状態を知るということにおいて、人間と関わるということは大きな気づきの役割を果たしてくれていると思う。

 

キラキラしている人も楽しそうにしている人も、何か抱えて一生懸命生きている。

何もない人なんていないでしょうきっと。

表面上だけで、奥深い人一人の人生と思想と生活をジャッジしてはいけない、そう自分に言い聞かせる。インターネットの普及で、断片的な言葉や文章で、人を簡単にジャッジしてしまう癖みたいなものが、自分の中に根深くへばりついてしまってるような気がする。

これはいけない、と自分に(おいおい浅はかだぞ)と突っ込むけれど、白黒思考が強いのでなかなかこれが難しい。

他人に過度に期待してしまうと、それは怒りの感情にも繋がりやすくなるので、人と自分との人生の境界線をきっちりと分けて考える習慣も必要だ。

 

濁流のインターネットの情報に、感情の波をグワングワンと洗濯機のように洗い流されていてしんどかったんだろう。作業台の壁には誰かの言葉の殴り書きが貼ってある。

 

他人の言葉にいちいち傷つく時は他人との境界線が曖昧

「この言葉は受け取る必要がない」と自分に声掛けする

 

まるで自分に言ってる?と思った時も要注意だ。こう書いていて、やっぱり思うのは、インターネットとの付き合い方を、自分の中でしっかり線引きして、今のまま、デジタルデトックスも続けていった方がメリットしかないな…と感じる。

実際にデジタルデトックスを実践しての数ヶ月は、心に栄養が行き届いている。

今まで気にも留めなかった、景色や自然をしっかり私の目は捉えられるようになった。

思考も深くなって、面倒で避けていた文章を書くということも毎日、ブログと3年日記ですっかり習慣化した。QOLは確実に爆上がりしている。

 

創作意欲もまぁまぁ維持できて絵もたくさん描けてる

イラストレーターという職業を主にして生きているので、制作意欲に影響する、感情の波はできるだけ避けなければいけないのだ。

19世紀の人の頭脳に現代人は負けているという研究結果も見た。あの時代の気品さにも勝てる気がしません。

 

自分のことや家族のことで、ほとんどの人が手いっぱいなのに、ネットでは赤の他人の私生活が自分の感情にも次々と入ってきてしまうんだから、そりゃぁ疲れるわ。

デジタルデトックスを実践してて、怖いなぁ…と思うことは、実践開始の時にはスマホの使用制限を厳重にして、あまり触らないようにしながら生活ができているのに、日を追う毎にスマホを無意識にいじってしまう時間が増えていくことだ。まじで怖い…

無意識に触っていて、うわぁぁぁ!!とスマホを手放すことが多い。恐ろしい。

なので、本気でガラケーが欲しいと思っている。

 

私の周りでは電磁波が怖かったり、スマホのタッチ画面が嫌で、ガラケーを使ってる人が結構いるんだけれど、インターネットをあまり利用していないからか、みんな精神的に物凄く元気だ。という事も今書いていて気づいた。

 

SNSと適度な距離でお付き合いする、なかなか難しい。

とにかく、他人様のキラキラが眩しくて目が潰れそうになっている時は、10回休みだ。

 

 


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