涼しい朝ですね。26度で涼しいと感じるんだから、暑さに対して耐性がついてきたのかな。
昨日たくさん蒔いた野菜の種たちも、さぞかしこの朝晩の寒暖差に驚いているだろう。
昨晩、とある場所からG mailが届いた。
厳選な抽選をいたしました結果、ご受講いただけることが決定しましたのでお知らせします。
あぁ、そうだ。そう言えば応募していた。と思い出した。
それよりも、定員数30名に対し、応募者数が80名近い人数がいたことに驚いた。
講座内容は、孤独を感じやすく人間関係が苦手な人が集い、皆んなでその事に関して意見し考えるワークセッション。
哲学っぽくて好きな感じだったので、初めてこういった集まりに参加してみようと思って応募していたんだった。
主催は市が母体となっているので無料。
それにしても、この応募数。人間関係で悩んでいる人がこんなにも、いるんだなぁ。と驚いた。外に出れば、みんな普通に生活しているように【見える】んだもの。
もちろん、そんな普通なんてなくて、皆んな何かしら抱えて一生懸命生きているわけだけれど。
オンラインじゃなく、実際に対面で話し合いをするわけだから、身元を明かすも同然の場所にこんなにも多くの人たちが殺到している事に、同じ人がこの市にたくさんいるんだな…という安心感と、居場所がないと感じている人がこんなにもいるんだな…という危機感みたいな気持ちが相対した。
自分の場合はADHD/ASD混合型なので【普通】の繋がりが難しい。
奇人変人な私とお付き合いできる人は、同じく奇人変人か既成概念がない人じゃないと難しい。
このワークセッション、参加者は女性のみなので安心感がある。
話し合いをどこまで掘り下げ、ディスカッションできるのかとても楽しみだ。
これを応募してから、いろいろな事を考え、気づくようになって、正直今まで急に襲ってきていた孤独をあまり感じなくなった。
どうしてなんだろうと、自分なりに考えてみたんだけど、1つしか原因が思い浮かばない。
デジタルデトックス
ただこれだけだった。
ツイッターやインスタグラムで他者の私生活が頭の中に雪のように積もっていかないということは、想像以上に私の気持ちを穏やかにしていっている。
自分の生活と密につながる政治的な部分は監視していなければいけないけれど、別に他人の私生活なんて見なくても自分の私生活には関係ないこと。
誰々と会ってあれしたこれした、○○と繋がった、系の常に人と繋がっている人の情報も正直見ていてしんどくなる。
どう努力しても、できなくて諦めた部分をすんなりできてしまう他人を見て、諦めた自分の気持ちが燻ってくる。そうなると、あぁ、なんて自分は小さい心なんだ…と自己嫌悪にも繋がってくる。
いかん、こんなの自分を自分で苦しめてるだけだ。
他人と自分の性格、生き方、人生を簡単に比較できてしまうソーシャルネットワークは、自分の心を蝕んでいく毒だな…と今はお付き合いすることをあえて遠のいている。
人間には他人と自分を比較してしまう【癖】があるんだって。
じゃあさ、比較しないように、見なきゃいいんだよね。となった。
他人と比較し勝手に落ち込んだりして、自分の頭の中では【他人と比較することなんて無駄なこと】と思っていても、なかなかそれをすんなり受け入れることって難しい。
見てしまったら、それが心の中で燻り続けることもある。
自分の人生の舵を、たくさんの他人に渡して操縦させ右往左往するもんだから、乗り心地が悪く運悪く転覆しそうになることもある、あぁ、なんて馬鹿馬鹿しいんだろう。
今まで、自分が急に孤独に襲われていた時って、他人のキラキラな目が潰れそうになるほどの眩い私生活を見た後だったような気がする。
うぅぅ、すげぇ眩しいっす…綺麗っす…羨ましいっす…自分はそれできないっす…うぅぅ、できないできない、なんでなんでなんで…孤独…寂しい…
みたいな、アホか。
デジタルデトックスで
寂しさ、孤独感を感じなくなった
のは他者との境界線がきっちり守られているからなんだなと気づけた。
ジョブスさん、あなた電磁波がどうこうでとかより、こう言った部分もしっかり理解していたから危険性を考慮し、我が子には使わせなかったんじゃ?とも思える。ぐぐぐ。
孤独とか寂しいって、大抵は人と比べて湧き上がる感情なんじゃ?
と思ってきた。
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