しかくい山 

人と極力繋がらない暮らしは不幸なのか?をテーマに生きる。

私は美人である

一気に冬並みの寒さ?

おかげさまで大好きな湯たんぽを、数日前から抱えて寝ております。

至福。延々と寝れる危ない季節到来。とタイピングしている目の前を蚊がフラフラと飛んでいる。なんて、あべこべな世界なんだ。

もう、地球も蚊も好き勝手やったらいいと思うよ。私も好き勝手に生きるからさ。

人間も世界も、ずーっと好き勝手やりまくってるんだから、私だって生きることに誰にも遠慮も我慢もいらないさ。

 

今日読んだ新聞の記事で、元中曽根総理が旧統一教会と癒着を…みたいなのを読んでて、自民党とカルトの癒着は私が生まれた1980年代からだという。

40年前から、まともな議員がいかに昔から少なかったかが浮き彫りになっているのを目にして、政治家ってやっぱりクソな仕事だな…と感心してしまう。

 

いつの世も腐っていますが、一期一会。

今の自分に生まれたことを喜びながら生きていたいし、地頭が悪い人間/命より金を優先する人間にこれ以上自分の人生を振り回されたくない。

 

先日のワークショップに参加した時に、自分の好きな部分や得意なことを10個(10個別に書かなくてもいい)書いてください。って言われて書いた用紙をご覧ください。

 

スラスラと書けた。

自分のことを(美しい)って書いたんだけど、同じ席に座っていたグループの1人の女性が、私の紙を4度見ぐらいしていたのを私は気づいていましたよ。

 

きっと

 

チラ見1度目(ん?気のせい?)

 

チラ見2度目(え?)

 

チラ見3度目(美しい!?)

 

チラ見4度目(マジかよこいつ…)

 

となっていたんだと思うとじわじわくるので、この紙はしばらく取っておこうと捨てないでおいた。冗談じゃなく、私は自分を美しいと思っているナルシストバンザイ野郎なので、誰に容姿を批判されたとしても(貴様には私の美しさがわかるわけがなかろうな)と、結構な自分大好き人間である。

 

そのせいもあって、つい最近こんな親のそばで長年育った息子に

 

「あんた自分に自信とかある?」

 

と聞いてみたら

 

「自信しかないわ。」

 

と。あぁ、間違いなく私の遺伝子受け継いでるわ。と言う即答が返ってきて笑ったことがあった。

自信がないよりは、自信があった方がいいので、子供が自分に自信があると言うことは素直に喜ぶべきことだ。と思った。

自信がある、と、天狗になる。のは全く違う。後者にならないようにとは口酸っぱく息子にはよく言っている。

 

親子で自信満々。昔で言う、オロナミンcのCMのようなみなぎる元気さ。

これからも中田家は自分大好き、自信満々で楽しく生きましょう、がもっとうだ。

 

なんだろう、書いてて私は一体この記事で何が言いたくて、どうまとめたかっのか分からなくなったので、もう一度言っておこう

 

 

私は美人である。間違いない。

 

また、ナルシストデジタルタトゥーを刻み込んでしまった。

 

なぜ、こんなことを書いてるのかと真面目に書くと、この世はまだまだ、いや所詮。綺麗事を言っても外見至上主義みたいなところがあって、知らない他人なんかが自分のことを勝手に容姿でランク付けするような残酷な世界なのだ。

 

売れているジャンルの音楽家やライターや声優、イラストレーター、画家、モデル、なんかを見てしまうと(美男美女)ばかりが並ぶ。あぁ…なるほどねと察してしまう。

まだまだ世界はこのラインの中にいる。いや、人間が存在する限り、残酷だけど、ずっとそうなのかもしれない。世の中は、多少ルッキズム問題に関心が湧いてきて、人の容姿を馬鹿にしたりすると苦情が殺到する風潮になってきているので、上もそれを恐れて言動に出さなくなっているだけな話のように見える。

こんなこと言ってる私だって、やっぱり美男美女には弱い。てか怖い。

 

私が学生だった時なんて、同級生の男子が、同級生の女子にABCランクをつけて盛り上がっていた。

ABCだけで終わらず、AプラスとかBマイナスまで細かいランク付けをしていて、歓喜している声がこっちにまで聞こえてきていた。

今、そんなことを目の前でされたら綺麗にラリアットしてやりたい。

でも、その時は人に対してランク付けしている男子達に違和感を感じながらも、自分は結構上のランク付けされてるわ、良かった。なんてまんざらでもなかったわけだから。

今思い出せば昔の自分にゲロゲロだ。昔の自分に正気になれよお前、とラリアットしてやりたい。

 

選ばれる側。

という立場にはもういたくない。選ぶ側にもいたくない。

 

この問題は女に限った話じゃなくて男も。

男だったら、外見の男らしさとか、収入の多さなどで、選ばれる側に立たされることが多いんだと思う。

男らしさってなんだろうね。といつも思うし、男らしさを勘違いしてパワハラマンになってしまってる人もとても多いし。

男らしさが生きづらさを助長しているようにも感じる。

 

女らしさ、とか、男らしさ。

って自分にはあまり使わないよね。大抵、人から(女のくせに)とか(男のくせに)とか言われる。お前誰だよ、うるせー一択だ。

 

人からジャッジされる前に、自分に確固たる自信があったりすると、人が言ってくるルッキズムに敏感に反応できるようにもなれるし。

唯唯諾諾(物事の良し悪しに関わらず、はいはい。となんでもしたがってしまうこと)にはなりたくないと常々思う。

 

なので、場所と空気をわきまえて使い分けるようにしてはいるけど、

(お綺麗ですね)なんて言われたら(ありがとうございます)か(よく言われます。笑)みたいな感じで、自分大好きを全面に出して、世で言う、ちょっとうざい奴カテゴリーに自ら飛び込んで行って、笑いをとったり、時にはドン引きされたりしてる。

 

 

明日も美しい自分を保つために今日はもう寝よう。おやすみなさい。

これを読んでる方が、自分のことを好きでありますように。

 

 

お読み下りありがとうございました。

 

 

 

 




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