しかくい山 

人と極力繋がらない暮らしは不幸なのか?をテーマに生きる。

コミュニケーション力が強化できてきた

連日降っていた雨により、敷地内の雑草がまたわさわさと伸び出している。ぐぐぐ。

がんばれワシ、がんばれワシ、と年寄りのように呟きながら鎌を持って敷地内をウロウロ。広すぎる、広すぎるよ敷地…

長居すると花粉で仕事ができなくなるので早々に所々を刈って、退散しても頭痛が。今年も進化できず、ザコである。

 

敷地内の巨木を何本も大家さんが斬ってしまったので、外側からのプライバシーがだいぶなくなった。子供達が遊ぶ姿も最近ではちらほら目につく。

鎌を持って敷地内をうろうろしながら草刈りしているので、鎌バァとか陰で呼ばれそうだ。(かっこいい)

 

 

風が気持ちいい。こんな日に自転車に乗れたら最高だろうな。

と思いながら、今日は家のことをしっかりする日と決めているので敷地内から出たらダメな日。

野良猫か飼い猫か、うちの庭と畑をトイレにしている子がいて、匂いがきつい。

その猫に告ぐ。お願いだから玄関前にはやめてくれませんか。お願いします。

飼い猫なら飼い主に告ぐ。放し飼いやめれ。

 

鳥山明さんの訃報で何十年ぶりにジャンプを買った

 

ここの所、人との対話で大きな発見や、気づきや、思いもつかなかったアイディアをもらったりで、私の心は満たされている。

 

人との対話で自分自身も客観視しやすくなるし、中には(お前…)とFワードを放ちたくなる失礼な男もいるんだけど、こうなるまい…と反面教師にするようにしている。

 

人との対話で以前より疲れや怒りやモヤモヤを感じなくなったのは、自己分析したおかげでもあると思うし、どんな嫌な人間と遭遇しても、この人には自分の人生を共有しない。

とラインがはっきり引かれているからで、他者の価値観や感情などを全て受け取るのではなく、柔軟に聴講する。ということが身についてきた。

 

人とのコミュニケーションを円滑にするには、まずはやっぱり自分自身を知り尽くすことから。に尽きる。

個を持った素敵な人たちと、考えを共有して話し合う時間はADHDやASD者にとって、自分の弱みや強みのスキルアップの場になるなと実感している。

 

自分が発達障害だと知らなかったら、きっと私は気がつけば自分語りを延々としていたと思うし、自分が本当にこの人無理だ…と思ったら、会話の途中で蒸発する。など事故的なことを延々と繰り返し、自己嫌悪していただろう。考えただけで、自分のことながら、うわぁ…となる。

 

知るということの大切さをひしひしと。

一人歩きしている多様性とは何か。

目に見えない障害をどう知ってもらうのがわかりやすいか。

何もない人なんていない。

どんな人でもその人の生き方であって自分が相手の人生に無理やり介入しない。

 

圧倒的、少数派の部類である自分がこの弱肉強食の世界で生き残っていくにはどうするか。

 

全て、1人ではわからないことばかりで、1人では限界もある。

 

極力人と関わらずというテーマで生きているのに、どんどん人との繋がりが増えていっているのはなぜか…何故なのだ…

本当に大切なことが見えてきたからかも知れない。

 

実験はまだまだ続く。

 

 

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お読み下りありがとうございました。




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