しかくい山 

人と極力繋がらない暮らしは不幸なのか?をテーマに生きる。

考える力と心が何故か晴れる言葉の話

今日はこちらに参加させていただきます。

お題「好きな監督の好きな映画作品を教えて!」

 

忘れてしまったけれど、Twitterだったか…どこかの広告で流れた予告PVが衝撃的すぎて、これは絶対に映画館で見たい…

と思っていた映画がある。(あった)結局犬の介護や家族へのサポート、自分のホルモン凸凹で、なんやかんやと理由をつけて映画館への足は遠のき、ついに上映終了、あぁぁぁ…と自己嫌悪に陥っていた去年。良い映画を厳選して上映してくださっている映画館には申し訳ない気持ちになるけれど、少し待てばネトフリやアマプラで見たかった映画は必ずと言っていいほど姿を現す。あまりの安さに罪悪感みたいな気持ちに包まれ感謝しながらも(次は必ず映画館に行こう…)と決めるが、なかなかそれすら実行できない。生活音にまみれながらどこか集中できない自宅で見る映画は、映画館で見る感動の三分の一のような気持ちになる。映画館には潰れてほしくないのに、楽な文明社会に適応してしまっている矛盾した自分。あぁ。

インボイス制度も10月から始まってしまう、潰れてしまう映画館が増える予感しかしなくて嫌な気分になる。

 

先日、その見たかった映画をアマプラで見ることができた。

 

ウーマン・トーキング 私たちの選択

ネタバレをあまりしないようにざっくり話すと、

女たちに人権も言葉も与えられていない村の話で、女たち全員が、牛へ使う睡眠剤を使われ、村の男から連続レイプされ、酷い暴力を振るわれてきた。…が、それは亡霊などの仕業だとずっと女たちは思い込まされていた。しかし、それは一転する。ある日、女を襲った男が目撃され、その男は捕まったのだ。女たちは、まず集まり投票し、村に残って男たちと戦うか、村を去るかで話し合うことになる。文字がかける男性1人を記録係として集まりに参加させ、猶予は3日間。男尊女卑カルト村の話である。しかもこれ実話を元に作られた話らしい。うわぁ…

 

小説を読んでいるかのような静かな映画で、話し合いや問いは哲学書を読んでいるみたいだった。テンポも良くて、初めて女たちは自分の想いを語り、自分の人生にスポットをあて、未来を想像する。

家庭ごとに様々な問題があり、話し合いは一筋縄ではいかない、衝突し、ぶつかり合い、本気で相手と言葉を交わす、だが女たちは敵同士ではない、同じ被害者であり、仲間であり、家族である。フェミニズム的な要素も多い内容だった。

さすが受賞しただけの作品で、静かに泣けた。

映画や小説や漫画を見ていると(あ、これ男性作者だな。あ、これ女性作者だな。)とすぐ分かる。これは、完全に女性主観の映画だったので、とても見ていて不快な気分にはならなかった。監督のサラ・ポーリー氏は映画

 

死ぬまでにしたい10のこと

で有名なんだけど、監督としても素晴らしい才能をお持ちで、見せ方、伝え方が美しく繊細で素晴らしい方だなと思った。大好きな主演のルーニー・マーラも毎度のこと、とても素晴らしい演技だった。私と大体身長が同じルーニー・マーラの細さにいつも驚き(あんたもせいぜい頑張って痩せな)と、クールなリスベットが頭の中に出てきて、私に吐き捨て消えていく。

 

戦うこと、去ることについても考えさせられた。

私は戦っても、自分の有限な人生の時間が無駄に消費されるだけ、自分の尊厳や人権が守られないと悟った時には、その場から何事もなかったかのように急に去る。変わらない相手に希望を持ったりして自分が我慢する必要性を感じないし、それで自分が体調を崩して動けない状態になったら本末転倒。動けるうちに去るのが吉日なのだ。なので私は、ここはダメだわ…と思ったら荷造りをすぐに始める。その感覚は幾度となく私を救ってきた。ある会社は火事で全焼し、ある施設は利用者への酷い虐待が内部告発され全国ニュースにまでなった。あぁ、去って良かった。そう思うことばかり。今まで、10回以上は土地を転々としてきたけれど、なんとかこうやって生きてる。どこでだって、人生を続けることは可能なんだ、ただしエネルギーがあれば。

それができない人たちがいるのも理解している、私の身内で優しい女性がいるけれど、その女性は意地悪な姑、パワハラ気質の夫から半世紀脱出することができていない。

その場から逃げること、新しい土地で生きることは物凄くエネルギーがいる。

 

ウーマン・トーキング内で1人の女性がこの3つを掲げた。

 

・子供の安全を望む権利

 

・自分の信念を貫く権利

 

・考える権利

 

この当たり前のような3つをできている女性がこの日本にはどのぐらいいるんだろう。

まだまだ、男優勢社会、男尊女卑が根深く残るこの国、色々な事を考えさせられる映画だった。私はアンチサザエさんファミリーだ。偉そうにしてる波平とそれに従ってる女たちを見ていると物凄くイラついてくる。波平、お前も台所立って飯作れや!!そう波平に言ってやりたい。

未だに、日曜のご飯時にあれを放送してるのかと思うと、わざとだろ?感が否めなくてドン引きする。色々なバイアスがかかっているテレビは見ない、てかアンテナが元々この家立ってないのでテレビが見れない。ははっ。

 

去る去らないで、最近この言葉いいなぁ…とちょくちょく心の中で唱えている言葉がある。

 

 

会者定離

会うものは必ず離れる定めにあること

 

ほんと、その通りですよね。と思うし、この言葉を唱えているとなんだか、心がスッと晴れてくる。あの時、あぁしていれば、こうしていれば、離れることはなかったかもしれない…みたいな、今考えても仕方ないフラッシュバックが起きた時に、この言葉を思い出すと、命あるもの永遠はないのである。早かれ遅かれ離れるし、それが早かっただけなんだ、と思える。

もしかしたら、宇多田ヒカル氏が歌で言うように科学が進歩して来世のDNAが前世と繋がっていることが証明される日が来るかもしれない。

不確かな事を想像するのは楽しいけれど、地に足がついていない感じがするので途中で想像することを辞めてしまう。そう思い込んで行動していく自分もなんか違う気がする。

 

考える力がなければ奴隷のままだなと思う。

人は何かの奴隷として生きている、と誰かが言っていた。

私はなんだろう…

 

お金かな…

 

お勧めの本。

 

やる気が湧いてきて絵もたくさん出品した。メルカリ #ナカタマイ で検索を。

がんばれ私、宇宙行くんだろ!!

 




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