しかくい山 

人と極力繋がらない暮らしは不幸なのか?をテーマに生きる。

カオスな畑でさえも色々と教えてくれる

意味もなく庭に出たり、畑に行ったりする時間が増えた。

今年の秋は庭と畑を整備したことにより、イヌタデが満開に咲いている。ちょっと多すぎるので自家採取でもしてタネを必要な人に譲ろうかな…とさっき思いながら、庭のイヌタデを眺めていた。今まで見たこともない野草や花も一気に増えた。隙間をたくさん作ったので新しい生き物が我が家に入り込むことができたんだなぁ。

流れがない場所はダメだ、沼のように暗いものが溜まっていって美しいものを蝕んでいく。

 

と、なんだか人間社会みたいだな。と感じながら、小さく可憐に咲く花たちは短い命をここで終わらせ、また風や鳥が新しい場所に命を落としていくんだろう。

 

庭は淡いピンクと黄色い花があちらこちらででいっぱい。

今年の夏はデジタルデトックスのおかげで、外に出る時間が激増したので、生き物をたくさん見れた。数ヶ月しか経っていないのに、庭から生き物は一気に姿を消してしまって、ちょっと寂しい気持ちではある。

 

畑なんて、野菜を育ててるのか、花を育ててるのか、もうわからないカオスな状態。

私が適当に作った畝と、息子が美しく作った畝も加わり、統一感がないアートみたいな畑になってて面白い。畑って性格出るよね。

 

こんなど素人で、ズボラな性格の私でも、畑には大根、にんじん、パセリ、じゃがいも、サヤエンドウ、キュウリ、ニラ、ネギ、ミョウガ、白菜、小松菜、ほうれん草、ラディッシュ、などなどが、たわわに実ってくれている。

 

適度な距離で適度なお世話。

野菜を育てるのって人付き合いに似てる。

 

川口由一さんが仰った

 

【心身の健康は、生きていることの意義の基本となるものです。また生きていくために必要な食べ物を自分で育てることによって、生きている基本の喜びがもたらされます。また、たくさんいのちたちが生かし生かされ、殺し殺され、生まれ死ぬ、いのちの営む姿を目にする田畑での日々から、生きる意味を悟ることになります】

 

が今はなんとなく分かってきた。

 

自給自足はいいぞー

畑はいいぞー

 

って言葉を見るたびに

 

【そんなことわかってるんだよ、押し付けるな!】

 

と心身共に疲労困憊していた時はニヒリズム化していた自分も、心身の健康を取り戻したら、【畑と庭癒される】となっているんだから、どんどん新しい自分に変化していく。悪い人間の時も良い人間の時も。人間は心と体と環境と状況に合わせて価値観も変わっていく生き物なんですね、と誰かにボソッと呟きたい。

 

昨日は色々と考えることがあって、結局私は人間は好きなんだけど、人間と長くいると、疲弊し人生が狂うという矛盾さを子供の頃から抱えている。

人間関係の構築は私には難易度が高すぎるのだ。本当に難しい。

人間関係の構築に使うエネルギー消費が激しすぎて、他のことに支障が出てしまう。あぁぁ、もうやだ…となる。

 

私はもっともっと人里離れた山の麓のような場所がきっと、心身を守り、穏やかに過ごせるんだろうなと毎回こんなことを思うとここに辿り着く。

次はそんな場所を探そうとうっすらとTODOリストに追加はしている。

場所もご縁。

今は淡々とできることをして生きていこう。

 

オフグリッド生活ができたらもう最高

 

 

 

 

お読み下りありがとうございました。

 


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